シナリオの迷宮 ~あるいは(無恥がもたらす予期せぬ軌跡)

脚本愛好家じぇれの思考の旅。とりとめもなく綴っていきます。

『ボヘミアン・ラプソディ』で感じたモヤモヤ(ネタバレあり)

こんにちは、じぇれです。

遂に大ヒット作『ボヘミアン・ラプソディ』のDVD・BDが発売!
私自身ライトなQUEENファンですので、映画館のスクリーンで観た時には、かなり興奮したものです。
ラストのLIVE AIDシーンも、当然ノリノリでした。

しかしながら、鑑賞後じわじわとモヤモヤするものが胸の中に広がってきたんですね。
今日はその正体について記そうと思います。

少々否定的な内容ですので、絶賛派かつ「批判は認めない!」という方は、この先をお読みになるのはオススメしません。

では、参りましょう。

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私がモヤモヤしたのはラストシークエンス。
そう、あの伝説のLIVE AIDの再現シーンなんです。

この手前で物語は完全に終わっています。
フレディの葛藤が全て解決されており、物語構造上、LIVE AIDシーンはクライマックスではなく、エピローグにすぎません。
そのようなドラマがないシークエンスが、こんなに長くていいのかなぁと、鑑賞中にも少し心配になったわけです。

それでもまだ、私はライトなQUEENファンですから、楽しんでいたわけですけどね。

でもって、鑑賞後に湧き上がったモヤモヤは、これらのシーンが完全コピーであったことに由来します。

徹底していますねぇ。
一挙手一投足が一致するよう、本当に徹底しています。

しかし、そこまで完全にコピーする意味があるのでしょうか?
それなら本人映像を流せば済む話で。

劇中でも、BBCから要求されて、QUEENの面々が口パクを拒むシーンがあります。
あのエピソードをわざわざ入れながら、延々と口パクを流す意味ってなんなんでしょう?

しかも、一挙手一投足を一致させるために、カットも細かく割っていて、ライブ感が薄れてしまっています。

もし本人映像ではなく、俳優陣に演じさせたいのなら、完全コピーではなく、各自の作り上げたQUEEN像に則ったパフォーマンスをしてほしかったなぁと。
それをできる限りカットを割らず、ライブ感を出して撮ってくれれば最高だったのにと。

そもそも本作は史実を大胆に改変してあり、LIVE AIDに臨むメンバー達の心情も実際とは異なるわけです。
ならば、フレディがまだエイズに罹っていない実際のパフォーマンスを真似るのではなく、エイズであることを皆で共有した映画版QUEENならではのパフォーマンスを見せてほしかったと思うんですね。

なによりも、2時間近くラミ・マレックを観て感情移入してきた観客にとっては、もはやラミこそがフレディなんです。
そのラミ=フレディが、物真似ではなく、エイズを受け入れてメンバーとともに挑むライブシーンを観たかった。
それこそが演技であり、ドラマを生み出す原動力なのですから。

以上で、私が感じたモヤモヤについての駄文を終わりとしましょう。
長々と書いてきましたが、この作品のおかげで若者たちにもQUEENの魅力が伝わったことには、本当に感謝しているんですよ!

ありがとう、全てのキャスト&スタッフの皆さん!
そして、ごちゃごちゃ言ってごめんなさい!(^_^)ゞ