シナリオの迷宮 ~あるいは(無恥がもたらす予期せぬ軌跡)

脚本愛好家じぇれの思考の旅。とりとめもなく綴っていきます。

『エマニエル夫人』男女平等という視点で(ネタバレあり)

こんにちは、じぇれです。

今回の課題はあの『エマニエル夫人』。
いや~、小学生の頃に話題になりました。
とんでもなくエロい映画だと。

しかし、実は今回が初見なんですよ。
果たしてどうなることやら。

《地獄の映画100本ノック その17 『エマニエル夫人』》

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あれ?
ずっとエロいことをやってるのにエロくない!
というか、エロさよりも違う視点ばかり気になってしまうんですよねぇ、これ。

まずは、鑑賞直後の感想をどうぞ。

簡単に言えば、年上の夫によって都合のいい”かわいい妻”として育てられていたエマニエルが、真の性愛を追求し始めるって物語です。

彼女が自立を考えるきっかけとなった人物は2人。

①少女マリー
開けっぴろげに性を語る少女と接し、女性が性について語ることをタブーとしている社会に疑問を持つ。
②考古学者ビー
ただ1人性を感じさせない働く彼女に惹かれる。「男が集まれば仕事の話をするのに、女が集まれば『恋してる?』って話ばかりなのはおかしい」と語るビーを追いかけまわし、エッチをする。

とまぁ、70年代のMLF(女性解放運動)を想起させる内容になっているんです。
それより少し前の言葉で言えば、「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」っていうのが、エマニエルに訪れる転機となります。

しかし、こうして自我に目覚めたはずのエマニエルが、結局はマリオという老人に説き伏せられていくんです。

「真実の愛は勃起だ。オルガズムではない。夫婦関係は禁止しなければならない。第三者を加えなければならない」

そう言うと、マリオは現地の男どもにエマニエルを犯させ、しまいにはお尻まで奪っていき__
ラストでは、性の悦びに目覚めたエマニエルが鏡の前でけばけばしい化粧を施す。
めでたし、めでたし!

エエエエエ~!
こういう価値観の映画が女性を中心に大ヒットしたことに、驚かざるをえません。

メイキングによれば、映画の素人達(CM畑の人が中心)が金儲けを狙って作った作品で、イデオロギーのようなものが一切なかったことがわかります。
要するに、女性も観られるソフトなポルノに仕上げることで幅広い層に観てもらおう、という魂胆だったのです。

結果として、前時代的な価値観に押し込まれているにも関わらず、官能映画を堂々と女性が観られるというパッケージによって、大ヒットしていったわけですね。

しかも、日本では主演のシルヴィア・クリステルブームが巻き起こり、様々な女性誌やテレビで特集が組まれたようです。

なんだろう、モヤモヤしたものが残りますね。

70年代『エマニエル夫人』
80年代『ナインハーフ』
90年代『愛人 ラマン』
10年代『フィフティ・シェイズ・グレイ』

と、定期的に女性向け官能映画ブームが起きるのですが、これは真の女性解放がなされていないからなのでしょう。
いつの世も女性が性をおおっぴらに語りにくい状況のままなので、たまに発信される女性向けソフトポルノ映画が大ヒットするって仕掛け。

そろそろ、ファッションで終わらない、真の女性解放映画が生まれなければいけないのかもしれません。

というわけで、本日のblogはこれにて終了!