シナリオの迷宮 ~あるいは(無恥がもたらす予期せぬ軌跡)

脚本愛好家じぇれの思考の旅。とりとめもなく綴っていきます。

『ボーグマン』侵略者の目を通して描く人間の愚かな生態(ネタバレあり)

こんにちは、じぇれです。

返却日ギリギリに鑑賞し咀嚼しきれなかった『ボーグマン』を再度借りてきました。
今回は、意味不明と言われがちな本作を、ゆる~く考察してみようと思います。

というわけで、以降ネタバレ全開ですので、未見の方はお気をつけください。

《地獄の映画100本ノック その13 『ボーグマン』》

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まずは初めて鑑賞した時の感想をどうぞ!

Don't Think. Feel! 以上!

ではでは、本日のブログは終了! また今度!......じゃダメですよね?(笑)

いや、本来はこれでいいんだと思います。
ラモス瑠偉似の不気味な男が、じわじわと巨乳の奥さんの心を掴み、徐々に幸せな家庭を壊していく。そして、私たち観客はその様をぽか~んと眺める。
これこそが本作の最も正しい鑑賞法。

ボーグマンの狙いはよくわからないけれども、時折人間の愚かさを感じて、「あぁ、俺もこの旦那みたいに激昂するよなぁ。愚かだけど」とか「奥さんの気持ちさっぱりわからん! まぁ、自分の奥さんの気持ちすらわかってないもんな」とか......あれこれ感じていけばいいんですよ、たぶん。

そうやって、劇中の出来事に自身を反映させながら感じていくことこそ、このような不条理劇の楽しみ方なんだと思います。

とはいえ、今回は少し野暮なことをしてみましょう。
以下、『ボーグマン』の気になることを、いくつか考察してみます。参考程度に読んでみて下さい。

【①冒頭のテロップ】
「そして彼らは自らの集団を強化するため、地球へ襲来した」
いきなり地球外生命体だと明言しているんですね。これは一応信じていいのでしょう。もっとも、現時点では、神や悪魔の可能性も残っていて、広い意味での地球外生命体ですが。

【②神父が殺そうとしている】
前述のテロップの直後に、神父がボーグマン狩りをする衝撃的なシーンが続きます。素直に考えれば、「ボーグマン=神に背く存在」となりますが、果たして? だいたい、猟銃を持った神父が真に神に仕えている者かどうか、少々怪しいんですよね。これらの描写には、教会主体の信仰、もしくは信仰そのものへの疑念すら感じます。

【③ここらでタイトルについて】
本作はオランダ・デンマーク・ベルギーの合作映画です。そこでそれらの言語での”borg”の意味を調べてみると__

オランダ語:保釈
なるほど。「保釈」すなわち「何かに囚われている人を一時的に解放する」......ボーグマン達が人間を解放? うん、奥さんが心に秘めていたものを解放させたと考えると、彼らの行動も少し理解ができます。もしくは子どもたちを両親から解放とも。

デンマーク語:城
ボーグマンが標的に選んだのは、まずまずの豪邸。城とまでは言えませんが、絶対的な君主(夫)がいて、妻が夫に従い、シッターが妻に従い......。無関係とは言い切れないですね。

○ドイツ語:去勢されたオス豚
ベルギー語が見つからなかったので、ベルギーでも使われているドイツ語を調べてみたところ、急にとんでもない意味が。たしかにボーグマン達は、美女に誘惑されても一切興味を持たないんですけどね(笑)

と一通りさらった上で最も気になったのがこれ。

○『スタートレック』に登場する架空の機械生命体の集合体
「 その最大の特徴は、侵略の対象が「文化」や「技術」その物にある点にある。領土や財貨、個人といった物には興味を示さず、特定の種族の持つ、文明、文化、そのものを吸収同化していく(中略)物語中、ボーグは、同化と呼ばれる強制的なサイボーグ化により、自組織へと他のヒューマノイド(人間)を取り込もうとする存在として描かれた」
以上、Wikipediaより引用
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0

あれ? これって、劇中のボーグマンのまんまじゃん!
というわけで、以下これを基に考察をしていきます。

【④文化を吸収するボーグマン】
豪邸でお風呂を借りたラモス瑠偉似のボーグマンは、湯船に浸かりながら食事をし、古い映画を鑑賞しています。その後もテレビに夢中になる描写がありますが、人間の生態を研究しているとも考えられるんですよね。

【⑤そもそもラモス瑠偉似の男も......】
エロシッターの同化を完了させた時、彼女の背中に数センチの縫い跡のようなものが出来上がります。これは、ラモス瑠偉似の男カミエルにもあるもので。つまり、彼もまた侵略者に同化させられた人間ということなのでしょう。

【⑥同化させる基準は?】
子どもたちはともかく、シッターを同化させたのに、奥さんを同化させなかったのは何故でしょうか? どちらもボーグマンに肉体関係を迫っているのに。そこで両者の違いを考えると、断られた後の対応に差があると気づきます。シッターがすんなり身を引いたのとは対照的に、奥さんは執拗に体の関係を迫ります。クライマックスで奥さんが己の欲望を露わにしなければ、彼女も同化対象に選ばれたのかもしれません。そこから推察すると、同化する上では、人間の我の強さが邪魔になるということかもしれないですね。

【⑦結局、ヤツらは何者なの?】
中盤ボーグマンがこんな話を子どもたちにします。(この行為自体、序盤父親が行っていたこととの対比になっていて、彼らが人間の行動を研究し真似していることも示唆しています)

「教会では皆がイエスに祈るが、知ってのとおり奴は自己中のクソ野郎だ」
②の神父の行動と併せると、神を否定する勢力であることが明らかになります。しかし、それは必ずしも悪魔ということではなく、イエスは人間が作り出した救世主にすぎないという考えの生命体なのかもしれません。そして、彼らにこそ義があるのかもしれないんです。

もし正義の神に対する悪魔なのだとしたら、子どもたちではなくあの夫こそ真っ先に同化させているはずです。しかし、実際にはバツと書かれちゃう始末で。やっぱりね、ボーグマンは「自分たちこそ正義である」と考えているんですよ。

【結論】
とまぁ、あれこれグダグダと考察をしてきましたが、細部に関して整合性のある結論は私には出せません。
しかし、これだけは言えます。侵略者の目を通して、人間の愚かな生態を暴き出す作品であると。

ですので、細かなことを考えすぎず、感じるのがいいんだろうと思います。現代人の欺瞞をユーモアに包んで笑い飛ばす、ブラックな映画なんですから。そうやって侵略者SFものではなく、ただただ崩れゆく家庭をはは~んと眺めていけば、示唆に富んだ佳作であることがお分かりいただけると思います。

Don't Think. Feel!