シナリオの迷宮 ~あるいは(無恥がもたらす予期せぬ軌跡)

脚本愛好家じぇれの思考の旅。とりとめもなく綴っていきます。

『ROMA/ローマ』”映画は総合芸術”

こんにちは、じぇれです。

いまだにNetflix会員ではない私は、この日を待ち望んでいました。
そう、『ROMA/ローマ』を映画館で観て参りました!
しかも、平面スピーカーという聞き慣れない最新機器を導入し、最高の音響を実現していると噂のアップリンク吉祥寺で。

鑑賞直後の感想がこちら。

今読み返すと、完全に浮かれてますね。
世界陸上で400mリレーを見た直後のODAさんぐらい浮かれちゃってます(笑)
いや~、ホント臨場感がハンパなかったんですよ。

小さな音が近くで聞こえたかと思えば、遠くの喧騒に眉をひそめ、そして次の瞬間、重低音とともに地響きで床が小刻みに揺れ......
環境音が命の『ROMA/ローマ』を、しっかりと体感できる映画館でした。
アップリンク吉祥寺で観られてよかった!

さてさて、そろそろ映画本編について書きましょう。

※核心に触れるネタバレはしません。というか、ストーリーもほぼ書きません。未見の方も安心してお読みください。

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前作『ゼロ・グラビティ』では、宇宙空間を舞台に”生きる”ことの意味を追究したアルフォンソ・キュアロン
本作『ROMA/ローマ』でも、”生きる”とはどういうことなのか、”死ぬ”と対比させながら、徹底的に追究しています。

ここで描かれるのは約50年前の物語ですが、本質的には”今”の物語です。
そう、私たちの周りにたくさん転がっている、市井の人々の物語。
だからこそ、終盤の30分は胸を掻き乱され、自分のことのように苦悩してしまいます。

このように、過去の物語を自分の物語として体感する上で重要なのが、先述した通り環境音なんです。

美しいモノクロ映像で綴られるこの物語には、ドラマティックに煽る音楽がついていません。
あるのは、ヒロインを取り巻く環境音のみ。
フレーム外の世界を押し広げ、私たちを50年前のメキシコに連れて行くだけでなく、彼女の内面へと誘っていく環境音。
効果音の取捨選択だけで、こんなにも映画が豊潤になるのかと、心底驚かされました。

これぞ総合芸術!

「映画は総合芸術だ!」と人が口にする時、往々にして傲慢さを感じてしまいます。
映画こそ芸術の王なのだと言わんばかりの横柄さ。
なので、私はあまり好まない言葉なんですが、今回だけは使わせてください。

『ROMA/ローマ』という映画は総合芸術だ!

写真の要素、演劇の要素、音楽の要素、そして映画ならではの編集という要素。
これらが合わさった映画が完成するためには、もう一つ大事な要素があります。
それが映画館。
暗闇の中で没入できる環境が、鑑賞を体験に変えてくれるのです。

だからこそ、Netflixが本作を買い付けたことには、少々複雑な気持ちです。
しかし、こうして映画館で体感できる機会を作ってくださったので、もう文句は言うまい。
でも、こういうのはもう買わないで!(笑)


【いつも読んでくださっている方への余談】
「『ROMA/ローマ』はアカデミー作品賞・外国語映画賞を獲得できない」なんて戯れ言を抜かしたのは誰だよ!

。。。はい、私です。本当にすみません。
ちゃんと罰ゲームの《地獄の映画100本ノック》を完遂します。

はっきり言って、作品賞もあげるべき大傑作でした(笑)