シナリオの迷宮 ~あるいは(無恥がもたらす予期せぬ軌跡)

脚本愛好家じぇれの思考の旅。とりとめもなく綴っていきます。

『セデック・バレ』映画はあなたの写し鏡(ネタバレなし)

こんにちは、じぇれです。

週3本をノルマにしている”地獄の映画100本ノック”も、これで4本目。
まずまずいいペースですね。

また、せっかく100本もblogを書くので、いろんな切り口を試してみたいとも考えています。
というわけで、今回の後半はエッセイです。
今後ポエムもやろうかな(笑)

前置きはこれぐらいにして、お題作品発表!
『バーフバリ』に先駆けて、長尺でもアクションと踊りで観客を魅了し続けた、台湾発の実録映画『セデック・バレ』2部作です!

《地獄の映画100本ノック その4『セデック・バレ 第一部 太陽旗』『セデック・バレ 第二部 虹の橋』》

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時は1930年。清との取り決めで台湾を統治していた大日本帝国。それに不満を抱えた原住民たちが、大規模な抗日蜂起事件を起こしました。
本作は、その首謀者モーナ・ルダオを主人公にした実録ものであり、史実に脚色を加えた壮絶なアクション絵巻でもあります。
第一部143分、第二部131分、計274分の超大作を私がどう感じたかと言いますと__

面白い!
いや、やるせない!
第一部で丁寧に背景を描いているからこそ、『マッド・マックス』顔負けのアクション連打で突き進む第二部は、やるせなくてやるせなくて。

先祖代々伝わる掟(信仰)に則って、負け戦を仕掛ける原住民の男たち。
その男たちの決断のために、さらに辛い決断を強いられる女たち。
勇敢であろうと戦いに加わるも、”戦争”の現実に直面する子供たち。

蜂起の負の側面がこれでもかと描かれていて、とにかくやるせないんですよねぇ。

ここまでで映画に興味を持ってくれた方は、ぜひ鑑賞してみてください。
アクションの迫力も凄いですから!

さて、ここからはエッセイという名の駄文を綴ってみます。
こちらはお付き合いいただける方だけでいいですよ(笑)


【エッセイ:映画はあなたの写し鏡】

本作を「反日映画だ」と糾弾する声もあります。たしかに、主人公の敵は日本人であり、日本人がバッタバッタと斬られていく描写も多いんです。

例えば、普段から極端に反日に過敏な方は、「けしからん」と怒りだすかもしれません。
例えば、普段から極端に日本が嫌いな方は、「日本人を殺せ!」と興奮するかもしれません。

しかしながら、先述の通り、私は反日映画とは感じられませんでした。というのも、決して主人公を美化しすぎることなく、蜂起がもたらした負の側面にスポットを当てているからです。
また、酷い決断をする日本人もいますが、彼らの変化も描いているからです。つまり、単純な極悪人として描いているわけではないと感じたんですね。

さて、ここからが本題ですが、「反日映画ではない」とする私の意見が100%正しいと主張したいわけではありません。
反日だ!」と糾弾する方を断罪したいわけでもありません。

本作に限らず、ほんのちょっとの描写で映画を嫌いになることがあります。たとえ作り手が意図したものでなくとも、ある人にとってはとんでもなく不快に感じることがあるんです。

映画というものは、時に観客の写し鏡となります。その時の気分、その時の思想、その時の体調によっても、見え方が変わってしまうんです。

批判をするならば、全編をきちんと観た上で一度冷静になってから批判するのが理想ではありますが、嫌いになってしまったのに、冷静になるのも難しい話。

ですから、今の私にとっては反日映画でなくとも、これを反日映画と感じてしまう人がいることもまた、否定はできないんですよね。

また、作り手からすれば、慎重を期しても誰かを怒らせたり傷つけたりする可能性を0にはできないんです。

そう考えていくと、コンプライアンスってなんだろうって思います。どうやったって多彩な解釈をされるのですから、過度にコンプライアンスを気にして作っても意味がないんじゃないかと。

というわけで、作り手はもっとノビノビと作った方がいいと思います。
同時に、私たち受け手は、不快に感じた時に深呼吸をするぐらいの余裕が必要なんじゃないかとも思います。

映画の受け取り方には、これが絶対に正解というものはありません。感じてしまったら、それもまた正解。
ただし、いちいちそれをクレームにしてもあまり意味がありません。
だって、それはあなたが感じたことですから。