『デビルマン』は取り柄のない駄作なのか
こんにちは、じぇれです。
遂にこの日がやってきてしまいました。
罰ゲーム”地獄の映画100本ノック”の開幕です!
記念すべき第1作はこちら!
《地獄の映画100本ノック その1 『デビルマン』》
なるほど、なるほど、地獄枠ですね。
でもですねぇ、映画館で本作を観て1度地獄を味わっている私にとっては、こんなの天国ですよ!
ハッハッハ......嘘です(笑)
無数のディスりblogがある通り、様々な欠点を抱えた失敗作です。
しかしながら、2度目の鑑賞ともなると、冷静に観られた分、いい点もいくつか見つけられました。
『デビルマン』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月2日
いい思い出が美化されることを”思い出補正”と呼ぶ。この逆もあって、悪い思い出は徹底的に汚される。また「いくら貶してもいい」と思われている可哀想な映画でもある。ブログでは美点をまとめよう。悪魔になろうとも、『デビルマン』を必ず守る...つもり#地獄の映画100本ノック その1 pic.twitter.com/cOtgKESY9f
少なくとも、観ていない人が「駄作wwwww」と貶していいような作品ではありません。
貶すなら、観てから貶せ!
という訳で、今日は実写『デビルマン』を褒めます!
【①クリティカルヒットの瞬間を見逃すな!】
東映が鳴り物入りで立ち上げた”T-VISUAL”による「アニメとCGと実写の融合」は、完全に成功したとは言い難い出来です。PS2のムービーと揶揄されることもあるCGですからね。
しかしながら、随所にかっこいい画があるんですよ。
特筆すべきは、クリティカルヒットした瞬間の手描き静止画の挿入。
これは本当にかっこいい!
MCUでもDCEUでも採用すべき!
えっと......ビジュアルについてはこれで終わります。
探したんですよ。一生懸命探したんですよ。
でも、本心から褒められるのはこれだけかなぁ(笑)
その代わり、脚色について2点がっつり書くので許してくださいm(_ _)m
【②明と了を双子に演じさせたことの意味】
原作では似ていない明と了を双子に演じさせることには、一体どのような意味があるのでしょうか?
答え:大人の事情
いやいや、それじゃ褒めていないですね(笑)
仮に、噂通り大人の事情によるキャスティングだったのだとしても、これはいい改変だと思います。(見た目的には)
まず、この2人は、双子といってもだいぶ雰囲気が違うんですね。人間的な明と悪魔的な了の配置が素晴らしいんです。(見た目的には)
また、双子に演じさせたことで、明と了が本質的には真逆の人間ではないことが暗示されています。これがラストに効いてくるんですね。上手い!(見た目的には)
ホント双子抜擢は素晴らしいと思うんですよ。(見た目的には)
さっきから、カッコ書きがしつこくついていますが、気にしないでください。
今私は、見た目のことだけを褒めているんですから!!!!!!
ああああああああああああ
【③当時の社会情勢を反映したラストの改変】
原作の有名なラストの直後に、映画版オリジナルのラストが追加されています。
この意味は?
2004年に公開された本作の脚本が執筆されたのは、2002年ごろと考えられています。
そうです。2001年9月11日に起きた同時多発テロの影響を受けているんですよ。
だからこそ、原作の凄惨なラストの先に、ほんの少し光を加えようとしたのだと思います。
デビルマンが必死に戦った結果、地球の片隅には光が残ったんです。しかもその舞台は、明確にグラウンド・ゼロを意識したものになっています。
思えば、原作通りであるデーモン狩りのシークエンスも、ボブ・サップキャスターが伝える「日本をテロ国家と指定」というニュースも、完全に911以降の世界を意識したものと言えるでしょう。
度重なるトラブルにより、監督の思い通りの作品にはならなかった本作ですが、”いま”の物語として再構築する姿勢はもっと評価されるべきです。
この点においては、私は全面的に擁護していきます!
というわけで、『デビルマン』レビューはこれにて終了。
気になった方は、改めて鑑賞してみてください。
では、次回『ガマの油』レビューでお会いしましょう!
実は、こっちの方が私を悩ませているんですよ。。。(^。^;)