シナリオの迷宮 ~あるいは(無恥がもたらす予期せぬ軌跡)

脚本愛好家じぇれの思考の旅。とりとめもなく綴っていきます。

愛の本質を探る旅__『シェイプ・オブ・ウォーター』

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《じぇれはこう見た》

【ネタバレ注意】
本レビューには、『シェイプ・オブ・ウォーター』のネタバレを含みます。また、ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』についても、結末を匂わす一文があります。未見の方はご注意ください。

【愛の本質に迫る考察が施された、重層的な作品】
本作は表の解釈Aと裏の解釈Bが可能です。裏の解釈を経てから、表の解釈に立ち戻ると、より深い感動を味わえると考えます。そこで、私なりの解釈を綴っていきます。

【表の解釈A】
ヒロインは半魚人に恋をし、彼もまた彼女を愛す。姿を変える水のように愛の形も不定形。これもまた正真正銘愛なのだ!
また、ラストでヒロインは絶命するが、語り部(ヒロインの隣人)は、神である半魚人が彼女を蘇生させると信じている。

これが、一般的な解釈、すなわち表の解釈Aです。怪獣大好きデル・トロというパブリック・イメージからも、すんなり飲み込める解釈と言えるでしょう。

しかし、それならば、ヒロインのマスターベーション、敵役のファックシーン、ネコの残虐シーンなどは必要だったでしょうか?
そこで登場するのが、裏の解釈Bです。こちらでは、全ての要素が有機的に結びついていきます。
まずは、解釈を書き、その後にその根拠を綴っていきます。

【裏の解釈B】
ヒロインは言葉を話せぬ半魚人に自分を重ね合わせ、共感する。初めて出逢う自分と同じ境遇(に見える)の半魚人と生活する間、ルーティンのマスターベーションができず、性欲が溜まっていく。それを愛と勘違いしたヒロインは、半魚人と肉体関係を結ぶ。だが、半魚人にとっては本能にすぎず、愛など感じていない。
姿を変える水滴は、くっついて変形する。共感や性欲も融合すれば、擬似愛へと変わっていく。
ラスト、絶命したヒロインは半魚人に海中へ連れていかれる。本能に従い、半魚人は彼女を喰らう。。。

【裏の解釈Bの根拠】
①半魚人の造型
ラヴクラフトインスマスインスマウス)面とそっくりであるのは、単なる偶然? いや、そうではないでしょう。他にもインスマスとの共通点があるのですが、長くなりすぎるので割愛します。
※興味のある方は、インスマス(もしくはインスマウス)で画像検索してみてください。

②半魚人の男性器
特殊な仕様で、普段は女性のように平らなのに、その時だけ出てくるらしい。なぜこんな仕様にしたのでしょう。平気でマスターベーションやファックを映す監督が、ここだけ逃げたとは考えにくいです。
通常時女性のようにつるんとしているのは、ヒロインが半魚人に共感しやすくするためだと思われます。共感が最初の感情であると、わかりやすくするためでしょう。

③冒頭で描かれるルーティン
起床→ゆで卵を作る→風呂場でマスターベーション→バスで出社
これがヒロインの日常です。彼女は、感情が高ぶらなくても、ルーティンとして性欲を解消しています。そして、半魚人を助けてからは、風呂場が占拠され、このルーティンが崩れます。

④3組の愛の形__全て性欲が絡む
・ストリックランドは、激しいファックを妻と交わします。夫が指を食いちぎられたというのに、妻が自らベッドに誘ったのです。
・黒人の友人は、冷めきった夫婦関係を嘆きつつも、「昔は絶倫だった」と語ります。
・隣人のゲイ老人は、仲良くなった店員の手を握ろうとして拒絶されます。
そう、本作で描かれる愛には、全て性欲が関係しているんです。ヒロインにしても、共感していた半魚人と急に肉体関係を結ぼうとするのは、ルーティンが崩れ、性欲が高まっていたからと言えるのでは? 風呂場を見ての条件反射もあるでしょう。

⑤猫惨殺とその後の急変
唐突に猫を惨殺し、叱られると猫を可愛がり始める半魚人。奇跡を起こすことから神と崇められていたらしい半魚人が、動物としての本能を露わにするシーンです。その後の急変によって、計算してよい子を演じられる頭脳があると示唆しています。つまり、半魚人がヒロインに従順なのも......。

⑥絶命したヒロインを海に連れ去る理由
これは、ヒロインと半魚人が初めて心を通わせた(ように見える)シーンと呼応しています。あの時、半魚人はゆで卵をプールに持ち帰り食べました。今回も......。

【裏の解釈Bを経て、表の解釈Aに戻ってみる】
約100分の時点で流れるミュージカルシーンでも明らかなように、ヒロイン自身も半魚人の愛をさほど感じていません。
海で彼女を食べたというのは、あくまで最悪の可能性にすぎませんが、デル・トロは、こんな残酷な現実をも想起させるように作っています。
ヒロインの愛も、共感と性欲から生まれた幻であり、ましてや半魚人はヒロインを利用しているだけなのかもしれません。
それでもなお、ラストは心優しき隣人の語りに託しています。1度見た風呂場での交わりから夢想した、とても優しい未来に。

デル・トロは、『パンズ・ラビリンス』では極めて明確に最悪の現実を描きましたが、ここでは私たち観客に想像させるんです。考えたくもない最悪の可能性を。その上で、自分の分身とも言えるゲイの老人を通じて、こう語りかけてきます。

「幻だっていいじゃないか。愛は美しいんだ!」と。

☆想像以上に長くなってしまいました。こんな長文を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。