『リズと青い鳥』非アニオタから見た心情表現(ネタバレなし)
こんにちは、じぇれです。
難敵『ボーグマン』のblogを終えたので、これからはバンバンアップしていきますね。
というわけで、今回の課題作品は『リズと青い鳥』。
この作品は『響け!ユーフォニアム』という人気アニメシリーズのスピンオフ。
しかしながら、私は1秒も観たことがありません。
それどころか、幼き頃からマンガを一切読まず、アニメもそれほど多くは観ていません。
そのためか、ギャグをやるときに急に絵柄がコミカルになったり等身が変わったりするアニメ特有の表現が、どうにも苦手なんですよ。
今日は、そんな非アニオタの私が感じたことを率直に綴っていきます。
アニメの常識をわかっていないが故にムチャクチャなことも書くかもしれませんが、どうか温かい目で見てください。
《地獄の映画100本ノック その14 『リズと青い鳥』》
※”地獄の//映画100本ノック”です。”地獄の映画”ではありませんので、誤解なきよう!
まずは鑑賞直後の呟きをどうぞ。
『リズと青い鳥』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年4月7日
陽の希美と陰のみぞれ。仲良しであるはずの2人のズレを、劇中劇や演奏シーンによって繊細に表現する秀作。多感な思春期特有の嫉妬や孤独を丁寧に描き出し、「こんなこと自分にもあったなぁ」と共感しまくり。#地獄の映画100本ノック その14 pic.twitter.com/RXQYmM6cRd
アニメをあまり観ていないと書きましたが、実は山田尚子監督の前作『聲の形』は観ています。
なので、あまり苦手な表現はないだろうと思っていましたが、それどころか完全に心を奪われました。
私自身が高校時代に吹奏楽部に入っていたことも、共感しやすかった要因ですが、それだけではないんですよ。
本作品では、徹底して記号論的表現を排除しているように感じました。
手塚治虫さんが確立したらしい記号論は、2次元の絵で物語る上では欠かせない表現手法です。
簡単に言えば、喜怒哀楽を明確に表情に反映させる表現。
ですから、アニメは喜怒哀楽のメリハリの効いた物語との相性がすこぶるいいんですね。
しかしながら、人間とは複雑怪奇な生き物でして。
往々にして外と内が一致しない。
よく言う「顔で笑って、心で泣いて」といういびつな心情表現をしてしまうんです。
そのため、『リズと青い鳥』のような繊細な心情表現が必要な物語は、実写でこそ表現できるものの、アニメでは難しいんじゃないかと思っていました。
(※実写では表情のアップ一つで複雑な心理も表現できますからね。もちろん上手い役者であればですが。最近は、視聴者がアニメに親しんでいるため、そして若い役者のレベルが低いため、実写でも記号論的演技を多用している作品も増えました)
しか~し!
山田尚子監督は記号論的表現や説明的なセリフを排し、多彩なテクニックを駆使することで、繊細な心情表現をアニメで実現しました。
これは本当に凄いことだと思います。
要所では敢えて顔を切り、歩き方や手のカットなどを幾重にも組み合わせることで、詩情的な作品に仕上げたわけです。
このような作品が他にないわけではないでしょう。
私がアニメに無知なために、他を知らないだけだと思います。
それでも、本作の完成度の高さは、アニメを新たなステージに引き上げることに貢献したはずです。
だからこそ、敢えて2つの注文をつけます。
山田尚子監督なら乗り越えられると信じて。
①セリフの言い回し
映像表現のブラッシュアップと比較すると、セリフ回しは従来の記号論的アニメ手法に近かったように感じました。
今回の感情表現にふさわしい、より生々しいセリフ回しを追求していただくと、更に芸術性が増すんじゃないでしょうか。
②いささかテクニックが目立ちすぎる
これは酷な注文かもしれませんが、アニメに詳しくない者の戯言として、率直な気持ちを書かせていただきます。
記号論的表現を排するために、多くの技法を用いらなければならず、少々鼻につく表現になってしまったように思えます。
手数を減らして、同等の繊細さを獲得する術がないか、次回作では更なるチャレンジをしてほしいです。
やはり、顔を切ったカットは不自然なので、多用すると人工的でテクニカルに感じちゃうんですよね。
などと無責任に書いちゃいましたが、アニメをあまり観ない私でも、本作には感動できました。
実写でもこれだけ繊細な心情表現ができた邦画作品は、近年殆どないんじゃないでしょうか?
というわけで、山田尚子監督の次回作も必ず観ます!
ではでは、本日はこれにて終了。
次回作は、久しぶりにガチの”観るのが地獄”枠です(笑)
お楽しみに~!
『ボーグマン』侵略者の目を通して描く人間の愚かな生態(ネタバレあり)
こんにちは、じぇれです。
返却日ギリギリに鑑賞し咀嚼しきれなかった『ボーグマン』を再度借りてきました。
今回は、意味不明と言われがちな本作を、ゆる~く考察してみようと思います。
というわけで、以降ネタバレ全開ですので、未見の方はお気をつけください。
《地獄の映画100本ノック その13 『ボーグマン』》
まずは初めて鑑賞した時の感想をどうぞ!
『ボーグマン』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月30日
謎の侵略者が裕福な家庭をじわじわ壊していく。「ボーグマンは何者か?」「目的は?」など細かな疑問には答えてくれない不条理劇。だからと言って無意味な訳ではない"Don't Think, Feel"系。侵略者の言動がユーモラスで、クセになる味わいがある。#地獄の映画100本ノック その13 pic.twitter.com/DnpeJQw7Bv
Don't Think. Feel! 以上!
ではでは、本日のブログは終了! また今度!......じゃダメですよね?(笑)
いや、本来はこれでいいんだと思います。
ラモス瑠偉似の不気味な男が、じわじわと巨乳の奥さんの心を掴み、徐々に幸せな家庭を壊していく。そして、私たち観客はその様をぽか~んと眺める。
これこそが本作の最も正しい鑑賞法。
ボーグマンの狙いはよくわからないけれども、時折人間の愚かさを感じて、「あぁ、俺もこの旦那みたいに激昂するよなぁ。愚かだけど」とか「奥さんの気持ちさっぱりわからん! まぁ、自分の奥さんの気持ちすらわかってないもんな」とか......あれこれ感じていけばいいんですよ、たぶん。
そうやって、劇中の出来事に自身を反映させながら感じていくことこそ、このような不条理劇の楽しみ方なんだと思います。
とはいえ、今回は少し野暮なことをしてみましょう。
以下、『ボーグマン』の気になることを、いくつか考察してみます。参考程度に読んでみて下さい。
【①冒頭のテロップ】
「そして彼らは自らの集団を強化するため、地球へ襲来した」
いきなり地球外生命体だと明言しているんですね。これは一応信じていいのでしょう。もっとも、現時点では、神や悪魔の可能性も残っていて、広い意味での地球外生命体ですが。
【②神父が殺そうとしている】
前述のテロップの直後に、神父がボーグマン狩りをする衝撃的なシーンが続きます。素直に考えれば、「ボーグマン=神に背く存在」となりますが、果たして? だいたい、猟銃を持った神父が真に神に仕えている者かどうか、少々怪しいんですよね。これらの描写には、教会主体の信仰、もしくは信仰そのものへの疑念すら感じます。
【③ここらでタイトルについて】
本作はオランダ・デンマーク・ベルギーの合作映画です。そこでそれらの言語での”borg”の意味を調べてみると__
○オランダ語:保釈
なるほど。「保釈」すなわち「何かに囚われている人を一時的に解放する」......ボーグマン達が人間を解放? うん、奥さんが心に秘めていたものを解放させたと考えると、彼らの行動も少し理解ができます。もしくは子どもたちを両親から解放とも。
○デンマーク語:城
ボーグマンが標的に選んだのは、まずまずの豪邸。城とまでは言えませんが、絶対的な君主(夫)がいて、妻が夫に従い、シッターが妻に従い......。無関係とは言い切れないですね。
○ドイツ語:去勢されたオス豚
ベルギー語が見つからなかったので、ベルギーでも使われているドイツ語を調べてみたところ、急にとんでもない意味が。たしかにボーグマン達は、美女に誘惑されても一切興味を持たないんですけどね(笑)
と一通りさらった上で最も気になったのがこれ。
○『スタートレック』に登場する架空の機械生命体の集合体
「 その最大の特徴は、侵略の対象が「文化」や「技術」その物にある点にある。領土や財貨、個人といった物には興味を示さず、特定の種族の持つ、文明、文化、そのものを吸収同化していく(中略)物語中、ボーグは、同化と呼ばれる強制的なサイボーグ化により、自組織へと他のヒューマノイド(人間)を取り込もうとする存在として描かれた」
以上、Wikipediaより引用
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0
あれ? これって、劇中のボーグマンのまんまじゃん!
というわけで、以下これを基に考察をしていきます。
【④文化を吸収するボーグマン】
豪邸でお風呂を借りたラモス瑠偉似のボーグマンは、湯船に浸かりながら食事をし、古い映画を鑑賞しています。その後もテレビに夢中になる描写がありますが、人間の生態を研究しているとも考えられるんですよね。
【⑤そもそもラモス瑠偉似の男も......】
エロシッターの同化を完了させた時、彼女の背中に数センチの縫い跡のようなものが出来上がります。これは、ラモス瑠偉似の男カミエルにもあるもので。つまり、彼もまた侵略者に同化させられた人間ということなのでしょう。
【⑥同化させる基準は?】
子どもたちはともかく、シッターを同化させたのに、奥さんを同化させなかったのは何故でしょうか? どちらもボーグマンに肉体関係を迫っているのに。そこで両者の違いを考えると、断られた後の対応に差があると気づきます。シッターがすんなり身を引いたのとは対照的に、奥さんは執拗に体の関係を迫ります。クライマックスで奥さんが己の欲望を露わにしなければ、彼女も同化対象に選ばれたのかもしれません。そこから推察すると、同化する上では、人間の我の強さが邪魔になるということかもしれないですね。
【⑦結局、ヤツらは何者なの?】
中盤ボーグマンがこんな話を子どもたちにします。(この行為自体、序盤父親が行っていたこととの対比になっていて、彼らが人間の行動を研究し真似していることも示唆しています)
「教会では皆がイエスに祈るが、知ってのとおり奴は自己中のクソ野郎だ」
②の神父の行動と併せると、神を否定する勢力であることが明らかになります。しかし、それは必ずしも悪魔ということではなく、イエスは人間が作り出した救世主にすぎないという考えの生命体なのかもしれません。そして、彼らにこそ義があるのかもしれないんです。
もし正義の神に対する悪魔なのだとしたら、子どもたちではなくあの夫こそ真っ先に同化させているはずです。しかし、実際にはバツと書かれちゃう始末で。やっぱりね、ボーグマンは「自分たちこそ正義である」と考えているんですよ。
【結論】
とまぁ、あれこれグダグダと考察をしてきましたが、細部に関して整合性のある結論は私には出せません。
しかし、これだけは言えます。侵略者の目を通して、人間の愚かな生態を暴き出す作品であると。
ですので、細かなことを考えすぎず、感じるのがいいんだろうと思います。現代人の欺瞞をユーモアに包んで笑い飛ばす、ブラックな映画なんですから。そうやって侵略者SFものではなく、ただただ崩れゆく家庭をはは~んと眺めていけば、示唆に富んだ佳作であることがお分かりいただけると思います。
Don't Think. Feel!
『野獣刑事』子供にツケを回していいのか(軽いネタバレあり)
こんにちは、じぇれです。
今回の課題作品はこちらです!
《地獄の映画100本ノック その12 『野獣刑事』》
1982年公開の本作は、70年代の流れを汲んだアウトロー刑事もの。
プロットに関して言えば、正直なところ構成の甘さも感じます。
でもですね、それでいいんですよ、これは。
過剰な暴力、過激な性愛、そして最後に残るのは虚無感のみ。
この映画に求められていたものは全て詰まっているんですから。
というわけで、鑑賞直後の感想がこちら!
『野獣刑事』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月30日
”光と影の魔術師”工藤栄一の面目躍如!暴力刑事、シャブ中、男にだらしないシングルマザー...人間の愚かさを炙り出し、同時にその片隅に宿る熱き魂をも照らし出す。しかし、愚かさの代償はあまりに大きく、いつの世もそのツケは子供に回る。ああ、無情!#地獄の映画100本ノック その12 pic.twitter.com/3TtyeEgCK7
”光と影の魔術師”と呼ばれた工藤栄一監督の描く夜は、妖しく艶やかで美しいんです。
これを観るだけでもおつりがきますよ!
おまけに、俳優陣もキレッキレ!
犯人逮捕のためなら、越えてはいけない一線も越えてしまうアウトロー刑事の緒形拳!
元祖(?)ダメんずウォーカーにして、大胆な濡れ場も披露するいしだあゆみ!
大切な存在がいるのに、シャブに溺れて暴れまくる泉谷しげる!
とまぁ、個性豊かなキャスト達が、人間の愚かさをこれでもかと見せつけてくれます。
それゆえに、彼らのやるせない末路には、やり場のない怒りすら感じずにはいられません。
いつの世も、愚かな大人の犠牲になるのは子供たち。
この負の連鎖を起こさない程度には賢くならなければ。
みんな約束だよ!
もう子供たちにツケを回してはいけない!
『好きにならずにいられない』殻を破る勇気(ネタバレなし)
こんにちは、じぇれです。
今回の課題は、ダメなおっさんの恋物語のようです。
《地獄の映画100本ノック その11 『好きにならずにいられない》
『好きにならずにいられない』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月30日
40過ぎて実家暮らしの男が恋に落ちるのだが...
ポスターから連想されるラブコメではなく、大人になりきれない男がちょっぴり自分の殻を破る物語。彼を襲う理不尽の連続に心が痛むが、苦難こそ人を育てる。生きるってこういうことよね。#地獄の映画100本ノック その11 pic.twitter.com/VrVPm5HoQC
うん、ポスター詐欺!(笑)
日本でこういう映画を売るのは大変だと思います。ただし、あんまりイメージを変えすぎると、この作品がドンピシャの人たちが近寄らなくなるんですよね。
私もその一人で、この企画がなければ手に取ることはなかったでしょう。
ちなみに、英語圏でのポスターはこちら!
そう! まさしくこういう映画です。
世界の片隅でひっそりと生きている男にスポットを当ててみました、っていうイメージ。
では、ネタバレにならない程度にあらすじを追ってみますね。
主人公は、40過ぎて母親と暮らしているジオラマオタクのフーシ。
ある日、同じアパートに越してきた小学生の女の子と出会います。
「えっ、えっ、好きにならずにいられないってそういうこと!?」と私が焦っていると、女の子がフーシに問いかけます。
ドキッ!私じぇれはバツイチですので、「このクソガキ、余計なお世話だ!」な~んて憤っていると、フーシは軽く流します。
「そうだよ」の一言で。
「おっとな~!」と感心してしまったのですが、どうやらフーシは大人の対応をした訳じゃないんです。
フーシという男はいつもこうなんです。
何があっても、必要以上に傷つかないように他者と深く関わらず、受け流しているんですね。
そんなフーシがある女性と出逢い、恋に落ちてしまいます。
よかった、恋愛相手は大人だ!(笑)
というわけで、ここからはフーシにとっての初体験だらけ。
女性に「家でコーヒー飲んでいかない?」と言われるのも、
女性に「旅行に連れて行ってよ」と言われるのも。
しかし、彼女には秘密がありました。
これを知り、フーシは能動的に彼女と関わっていくようになります。
おそらく本人も自覚なく。
とまぁ、本作は恋愛がきっかけとなっていますが、ラブストーリーというよりも、大人になりきれなかった男がちょっぴり殻を破る成長物語なんですね。
とっても小さな物語です。
でも、刺さる人にはグサリと刺さる物語。
私はこれまでの人生を色々思いだしながら、本作を鑑賞していました。
人生って色んなことが起きるんですよ。
フーシを襲う理不尽の連続が彼をちょっぴり強くしたように、今これを読んでくれているアナタにも、何かが起きるかもしれません。
(勿論、起きないよう願っています)
でも、大丈夫。大丈夫なんですよ。
苦労は大きくなるかもしれませんが、生きている限りは大丈夫なんです。
生きている限りは、苦労は糧にも変えられるんです。
う~ん、なんだか新興宗教の説法みたいになってきましたね(笑)
とにかく、生きていれば我々は強くなれます。
フーシのように、優しさを失わずに、まっすぐに生きていきましょうね!
というわけで、私じぇれには沁みまくった良作『好きにならずにいられない』の紹介でした!
『ホワイト・ゴッド』”都合のいい犬”じゃいられない(軽いネタバレあり)
こんにちは、じぇれです。
今回の課題映画はワンちゃん映画!
101匹ワンちゃんみたいにホノボノできるといいなぁ。
最近精神的にキツいのが多かったですからねぇ。
《地獄の映画100本ノック その10 『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』》
第67回カンヌ映画祭である視点賞&パルムドッグ賞のW受賞を果たした本作。
鑑賞直後の感想がこちら!
『ホワイト・ゴッド 犬と少女の狂詩曲』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月27日
犬と接する時、”都合のいい犬”であることを人は強いる。そんなエゴを糾弾した本作の見どころは、ズバリ犬。この子たちは脚本が読めるの? それとも、鞭でしばきながら演技をさせたの?←本末転倒(笑) 納得のパルムドッグ受賞作!#地獄の映画100本ノック その10 pic.twitter.com/dHIKeAoymZ
あれ? ホノボノどころかゾワゾワするヤツだ!
というわけで、簡単にあらすじを説明しますと__
13歳の少女リリは、両親が離婚し、心の拠り所は愛犬ハーゲンのみ。でも、雑種には税金が課せられるという条例のために、引き離されてしまい......
もう重い!(^_^)ゞ
でも、まだまだ序の口なんです。
その後、野良犬となったハーゲンは、何人もの人間のエゴによって、壮絶な人生、もとい、”犬生”に苦しめられます。
怒れしDOGハーゲンは、GODのように振る舞う人間たちに反旗を翻すことを決意。
その様がこちら!
まるで『猿の惑星』のように、虐げられてきたワンコたちが爆走する様は圧巻!
これでノーCGというのだから驚きます。
物語を分析すると2つの軸があります。
①反抗期の少女の心の変遷
②”都合のいい犬”であるよう強いられてきた犬の反乱
この2つを交差させ、深みのあるドラマにしようというのが、監督の狙いだったと思われます。
しかし、①の少女パートが少々甘く、その試みは成功したとは言い難いんじゃないかと。
逆に言えば、②の犬パートが出色の出来すぎるんですね。
ワンコたちの名演技にも支えられて、犬好きというわけではない私でも思わず感情移入してしまうほど。
序盤に”お手”や”待て”を仕込む人間を否定する描写があるのですが、撮影に際してはそれどころじゃない特訓が必要だったはずです。
犬の演技がアカデミー賞ものであるだけに、若干もやっとするところかな。
とはいえ、このワンちゃん達は処分待ちの保護されていた犬で、本作がきっかけで全員里親が見つかったそうで。
処分されなくてよかった!
とまぁ、ダラダラ書いてきましたが、「人間が”都合のいい犬”であることを強いるのはエゴだ」というテーマを、壮絶なアクションシークエンスで見せる衝撃作なのは、間違いありません。
先述の①と②の交差が決まっていれば、更に人間社会の主従関係(親子を含む)についても強烈なメッセージを発せられたはずなんですけどね。
【今日のまとめ】
ワンちゃんも
心があるんだ
忘れるな じぇれを
”犬生”も”猫生”も”魚生”も”鳥生”も、そして”我が子の人生”も、人間の気まぐれで弄んじゃいけないよ、ってお話でした。
ではでは、ワンコたちの名演技を楽しんでください!
『ROMA/ローマ』”映画は総合芸術”
こんにちは、じぇれです。
いまだにNetflix会員ではない私は、この日を待ち望んでいました。
そう、『ROMA/ローマ』を映画館で観て参りました!
しかも、平面スピーカーという聞き慣れない最新機器を導入し、最高の音響を実現していると噂のアップリンク吉祥寺で。
鑑賞直後の感想がこちら。
『ROMA / ローマ』鑑賞。うん、アップリンク吉祥寺で観るために、これまで観てこなかったんだなぁ、たぶん。立体的で、まるで呼吸しているかのような生活音。嬉しい音も、悲しい音も、すべて主人公とともに生き、幾多の感情を孕んでいる。最高の音響・映像で観られて、本当によかった! pic.twitter.com/XXog3Gw4S1
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月25日
今読み返すと、完全に浮かれてますね。
世界陸上で400mリレーを見た直後のODAさんぐらい浮かれちゃってます(笑)
いや~、ホント臨場感がハンパなかったんですよ。
小さな音が近くで聞こえたかと思えば、遠くの喧騒に眉をひそめ、そして次の瞬間、重低音とともに地響きで床が小刻みに揺れ......
環境音が命の『ROMA/ローマ』を、しっかりと体感できる映画館でした。
アップリンク吉祥寺で観られてよかった!
さてさて、そろそろ映画本編について書きましょう。
※核心に触れるネタバレはしません。というか、ストーリーもほぼ書きません。未見の方も安心してお読みください。
前作『ゼロ・グラビティ』では、宇宙空間を舞台に”生きる”ことの意味を追究したアルフォンソ・キュアロン。
本作『ROMA/ローマ』でも、”生きる”とはどういうことなのか、”死ぬ”と対比させながら、徹底的に追究しています。
ここで描かれるのは約50年前の物語ですが、本質的には”今”の物語です。
そう、私たちの周りにたくさん転がっている、市井の人々の物語。
だからこそ、終盤の30分は胸を掻き乱され、自分のことのように苦悩してしまいます。
このように、過去の物語を自分の物語として体感する上で重要なのが、先述した通り環境音なんです。
美しいモノクロ映像で綴られるこの物語には、ドラマティックに煽る音楽がついていません。
あるのは、ヒロインを取り巻く環境音のみ。
フレーム外の世界を押し広げ、私たちを50年前のメキシコに連れて行くだけでなく、彼女の内面へと誘っていく環境音。
効果音の取捨選択だけで、こんなにも映画が豊潤になるのかと、心底驚かされました。
これぞ総合芸術!
「映画は総合芸術だ!」と人が口にする時、往々にして傲慢さを感じてしまいます。
映画こそ芸術の王なのだと言わんばかりの横柄さ。
なので、私はあまり好まない言葉なんですが、今回だけは使わせてください。
『ROMA/ローマ』という映画は総合芸術だ!
写真の要素、演劇の要素、音楽の要素、そして映画ならではの編集という要素。
これらが合わさった映画が完成するためには、もう一つ大事な要素があります。
それが映画館。
暗闇の中で没入できる環境が、鑑賞を体験に変えてくれるのです。
だからこそ、Netflixが本作を買い付けたことには、少々複雑な気持ちです。
しかし、こうして映画館で体感できる機会を作ってくださったので、もう文句は言うまい。
でも、こういうのはもう買わないで!(笑)
【いつも読んでくださっている方への余談】
「『ROMA/ローマ』はアカデミー作品賞・外国語映画賞を獲得できない」なんて戯れ言を抜かしたのは誰だよ!
。。。はい、私です。本当にすみません。
ちゃんと罰ゲームの《地獄の映画100本ノック》を完遂します。
はっきり言って、作品賞もあげるべき大傑作でした(笑)
『オンリー・ゴッド』”作家主義”とは?(ネタバレなし)
こんにちは、じぇれです。
前回取り上げた『人魚伝説』では、日本の”作家主義”の夜明けとして、ディレクターズ・カンパニーについて触れました。
商業映画においては、監督が本当にやりたいことを妥協せずに貫くのは難しいのですが、それを成し遂げようともがいていたのが、ディレクターズ・カンパニーの監督たちだったんですね。
さて、今回取り上げる映画もまた、”作家主義”に目覚めた監督の作品です。
では、いってみましょう!
《地獄の映画100本ノック その9 『オンリー・ゴッド』》
監督は、前作『ドライヴ』で多くの観客を魅了した、ニコラス・ウィンディング・レフン。
激しいバイオレンス描写を独特の映像感覚で綴り、1級品のエンターテイメントに仕上げたレフンが、再びライアン・ゴズリングと組んだ『オンリー・ゴッド』の出来はいかに?
『オンリー・ゴッド』
— じぇれ (@kasa919JI) 2019年3月20日
異国の血で復讐を果たすアメリカ人青年のアクション映画!、、、と見せかけて、タイのおじさんのカラオケを愛でる映画(笑) アンチ・ハリウッドを目指した”作家主義”の作品なのはわかるが、如何せん私には合わなかった。ホドロフスキー病末期映画。#地獄の映画100本ノック その9 pic.twitter.com/jkn7J4JyiI
ん~。。。つらい!
いや、つまらない訳ではないんですよ。
『ドライヴ』でもうっすらと感じられた、量産型ハリウッドアクション映画への嫌悪感を、よりはっきりとした形で描こうとしたことは理解できます。
いわゆる”アンチ・ハリウッド”映画として、一定の評価をされるべき作品ではあるでしょう。
しかしですね、借り物はまがい物にしかならないんです。
どういうことかと言えば、完全にアレハンドロ・ホドロフスキーにかぶれちゃってるんですよ。。。
『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』で知られるホドロフスキーは、「映画は監督の物」と公言して憚らない、稀代の奇才監督。
口八丁手八丁で様々なジャンルの天才たちをメロメロにする人たらしでもあり、使えるものはなんでも使って、自分の作りたいものを妥協せずに作っていくアーティストでもあります。
そんなホドロフスキーに、レフンが入れ込むのもわかるんです。
しかし、”作家主義”のホドロフスキーの映像スタイルを模倣することは、当然ながら”作家主義”ではありません。
ファンの2次創作のようなもので、そこにはレフンの魂が宿らないんですよ。
『オンリー・ゴッド』において、ハリウッド的マッチョイズムをアジア的マッチョイズムで否定するというアイディアは、非常にユニークな発想だと思います。
だからこそ、目に見えるホドロフスキースタイルに頼らず、目に見えないホドロフスキーのアート精神を真似していれば、本作はレフンの代表作になっていた可能性すらあるでしょう。
それだけに惜しいと思わざるをえません。
作家性とは、その人本人の個性をきっちりと押し出すことであり、映像スタイルではありません。
アート的ではなくとも、マイケル・ベイなんて作家性全開だと思いません?(笑)
レフンが自らと真摯に向き合い、レフンにしか作れない作品を生み出す日が来ることを、私は切に願います。